田殿町 旧跡と伝承        

田殿町集会所 吉野川の支流「びわのこ川」東と方傾斜地の位置する村西は和歌山県橋本市只野「紀伊続風土記」に慶長検地帳に田戸野村とあり。谷の中にあり、両山対立して中間に谷川一条あり、是を紀和の界とす。古は田殿と書す。

 今は、大和に田殿あり、只野と相対して一細流を隔つるのみ、旧は一村なり国堺、古と変りしより分れて二箇村となり文字を以て分ちしなり」とあり、当町は、近世以前には紀伊国に属した。

 明応5年の坂合部殿証文の際目之事の堺目については明記なき為、其ノ後の分村とも思われ、慶長郷帳(1596−1614) 安土・桃山時代に「坂合部の内」に含まれ、寛永郷帳(1624−1643)では、山陰村田殿村共二二八、一五八石、元禄郷帳(1688の頃)では村高二十八石、七五三田殿村とあり、領主は旗本根来正縄(盛重系)となり、幕末まで根来氏領であった。

 当町には、天平時代悲運をたどられた中将姫(伝承)の伝説もあるところで、相当古くから開けていた処で、古くは小川に漆った地域に住居があったが、現在は、県道富貴線が町内を縦断し、住居も県道にそって居り、果樹山地となっている。

@ 阿弥陀寺(旧跡)
 県道富貴線から少し右に入った処にある。真言宗の寺である。
 本尊、阿弥陀三尊像、中尊は真言寺院の本尊のような形。像高49センチメートル、来迎印。
脇仏、弘法大師像、愛染明王像、等
本堂、四注造り桟瓦葺。昭和28年に再建された新しい堂庫裡となって居り、奥に仏間がある。

A 大性神社(旧跡)
 阿弥陀寺より少し下った処の果樹園内のこもった森の中に小さな春日造流板葺の祠がある。
大正7年7月1日、黒駒の御霊神社境内に合祀されたが、氏子等の希望により現在の地に小社を祀り現在に至る。尚、社殿老朽のため平成5年1月7日氏子等の寄進により改築、整備し、鳥井・駒犬等を建造する。
 祭神天照皇大神。
その他天保9年、大将軍と墨書した木札を併祀している。
阿弥陀寺、大性神社は田殿町独立した際に村のお守寺、お守神として建立したものと思う。

B 中将姫について(伝説)
 当町、仲山氏旧宅跡に中将姫顕彰碑を建立されているが、中将姫について研究せられた、橋本市隅田町の田中治氏の説の概要を記す。

中将姫顕彰碑
 中将姫は大化の改新に功のあった藤原鎌足の玄孫で、祖父は藤原氏南家の始祖と云われた藤原武智麻呂(五條市栄山寺の裏山に墓あり)となり、父は、従一位大臣藤原豊成、母は品沢親王の息女で紫の前という、誕生したのが天平19年(747)8月18日、4才のとき称讃浄土仏攝受経を学び、5才のとき母は病床に伏し死別す。7才のとき父は橘諸兄息女昭夜の前を後妻とする。8才の桃の節句に宮中で宴会あり姫は琴の役、照夜の前は簫の役をつとめたが、この時継母は不覚をとる。義弟豊寿丸も誕生し、一方姫は、成長するにつれて容姿端麗で英知に富み、何事にも優れていたので帝から中将の位を賜る。この頃から継母は次第に姫を憎む様になり、無きものにと姫殺害の謀計をたて、家臣の山下藤内載則に実行さすも息子小次郎則重が姫の身代となり助けられた。その後、地獄谷に捨てられた時も、滝田川の難も共に救われている。
布教の松
 10才の時、毒甘酒の難も杯を取り違えた豊寿丸が死亡し、姫は助かっている。14才の春、継母は、尚も、謀計すてがたく、父豊成諸国巡視の留守中に松井嘉藤太に命じて、大和と紀伊の境の雲雀山に誘きたして殺害させようとするが、嘉藤太は、慈悲の心が甦えり、罪のない姫を殺すことが出来ず、太刀を捨て(故に雲雀山を一名太刀捨て山とも云う)姫を残し一旦都に帰り、妻のお松と共に「雲雀山」に戻り、これより十三仏に守られて、2年3ヶ月間この地で姫を育て、きくも悲しい生活に耐えたと云われこの旧跡が「恋野」「阪合部火打」また田殿村の仲山氏の祖先が自家で色々とお世話をし、姫16才、都に帰るときお世話になった謝礼と姫が信仰していた仏像を同家に置いて行かれ、仲山氏では秘仏として祀られている。
運び堂
 ともかく15才の時、嘉藤太は死亡し、16才のとき父豊成が猟に来て、姫と涙の再会をし温情に厚い里人達と別れて都に帰り、17才のとき当麻寺で剃髪し法如比丘尼となり、有名な蓮系曼茶羅を織りあげたが宝亀6年(775)卯月14日、二十五菩薩に迎えられて29才で波乱であった清らかで英知に満ちた生涯を閉じられた。

 この中将姫は説話、伝説、物語上の主人公で実在していたか否かは今後の研究にまたねばならないが、誰かが中将姫説話のモデルになった悲劇的で高貴な女性が実在していたものと思う。

C 重森稲荷社
 県道五條富貴線端に祀られている小祠で、稲荷大明神を祭主とし、昔、火打、中西氏がまつりごとを行っていた。

D 八 王 子 社
 久保垣内岡氏宅上に祀られる小祠で、祭神は素盛尊(すさのをのみこと)の五男三女を合わせ祭る。

E 弁 天 社
 宮ノ尾垣内に祀られる小祠、森脇氏の下にあったが現在、同家の上の方に祭る。祭神は市杵島姫命。
tadano











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