奈良県の西南の端、五條市の街はずれ和歌山県との境にある。昭和32年五條市合併になるまえは、奈良県宇智郡阪合部村である。吉野川段丘に発達した水田耕作地帯と、紀伊山脈の丘陵を利用した畑作地帯からなっている。 現在の「きぼうこども園(旧阪合部小学校)」が中遺跡とよばれる縄文(後期)・弥生(前期)の複合遺跡の上に建てられていることからみても、歴史は古く、遠く狩猟生活時代にさかのぼる。吉野川の岸辺に芽生えた縄文文化が、高度の古墳文化を育み、奈良朝における藤原南家文化の発達と、御霊信仰の台頭とが、宇智文化を形成するにいたったといえる。 万葉の古歌に、 「たまきわる 宇智の大野に馬並めて 朝踏ますらむ その草深野」 「亦打山 夕越え行きて いもさきの 角田河原にひとりかも寝む」 と、うたわれている。 史跡も多く、念佛寺陀々堂の鬼走りは広く知られている。 地域の産物は主に米で、国営パイロット事業の広大な果樹園の柿・梅などの生産。蔬菜類・その他養鶏など。兼業農家が殆どで高齢者が農業を担当しているのが現状である。昔から人々はよく働き、経済的な潤いを維持しているように思われる。 また、スポーツを好む地域で、阪合部体協を中心に余暇を利用した体育活動も盛んで、地域のまとまりを、こうした活動を通じておぎなっている。阪合部自治会・阪合部山林自治会・各町自治会・老人会・婦人会・社会教育・学校教育ともに熱心である。 子どもたちは、少子化の進む中で南小学校の校舎で元気よく学び、田園の明るい太陽と清らかな空気の中で育っているせいか皮膚の色は赤銅色に焼け健康そのものである。また、老人たちも元気である。 古代、中世代、近代と社会情勢の変化、文化の発展等により産業、生活様式等も進歩して、往時の姿も逐次消えつつあるが、段丘地の地形は何時までも変わらないことであろう。郷土の過去を想い、より良き郷土を築く事が現在に生きる者の務めではないかと思う。そのためにも先人の遺跡、遺産の消滅を防ぎ将来にも伝えて行きたいものである。
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