鬼  走  り



        阪合部小学校 (昭和54年・教科体育研究発表より)

  再話 陀々堂の鬼走り

 物語 陀々堂の鬼走り

◎ 第1の場面
その昔。うんと昔。1000年ももっと昔。中国の北にダッタンという国があった。ナツメの木の茂る泉のほとりで、鬼が休んでいた。
 おとうさん鬼の 赤鬼
 おかあさん鬼の 青鬼
 男の子鬼の 茶色い顔をした鬼
コン、コンと泉がわきでていた。つめたい水をゴクッとのみほした赤鬼は、
「やれうまかった、うまかった。」
と、顔いっぱいに笑いをうかべた。

その時
東の空でまぶしく輝くものが見えた。
「あの光は。」
おかあさん鬼も 子鬼も口をそろえて叫んだ。

「は、は、は、は。みにくい心を照らす光じゃ。」
空のどこかで、そんな声が聞えた。
「みにくい心を、美しくする光だって。」
赤鬼が、大きな口を開いて叫んだ。
「そうだ。よごれた心を美しくする光だ。」
「へぇっ。いったいあなたはどなたですか。」
青鬼は、大きな目をかっと開いた。
すると空の向こうから
「あみだにょらいだよ。人の心を美しくするためにかけめぐっているさ。」
やさしそうな声。
「あなたが、あみだにょらいさま。ひと目でよいから姿を見せておくれ。」
「おきのどくだが、顔を見せることはできん。おまえたちの心のよごれがなくなるとき、きっとわしの顔が見えるはずじゃ。」
そのことばを聞いたとたん、鬼たちのからだは、泉の空高くまいあがった。

 まるでふしぎな力であった。あみだにょらいの光にひきつけられ、白い雲にのって東へ東へと空の旅がはじまった。

◎ 第2の場面
かわいた砂ばくの空をとび、緑の大地をとんだ。
 「おおい、子鬼くん、どこへいく。」
 風の子たちにであった。あまりに早くとぶので、
「やあっ。」といったきりだった。

 黄色いチョウが、ひらひら舞いながらいった。
「おおい、青鬼さん、どこへいくの。」
 あまりはやくとぶので、おかあさん鬼はのどがつまってことばがでなかった。

 それからしばらくして、青い海がどこまでも続いた。
 空の鬼を一ばんはじめに見つけたのが、潮をふきあげていたクジラだ。
「おおい、鬼さんそんなにいそいで、どこへいく。」
 どら声をはりあげ、しっぽをふった。
 あまり声が大きかったので、海の魚たちがびっくりして水面にうかび上り、口をあけて目をぱちくりさせた。

  鬼たちは、ふしぎな力にひきつけられ、ぐんぐんとんだ。空気をきって白い雲をつきぬけ、
もう青い海はかすかに見えるだけだった。
「ここは、どこか。」
 赤鬼が、大きな目をかっと開けた。
「海をこえた向こうの国のようだ。」
 青鬼がくびをかしげると、
「は、は、は、下に見えるのが、光の国。やまとの国ともいう。」
 空のはてから、あみだにょらいの声。
「やまとの国だって。」
 鬼たちの目は、かがやく。
 緑の山と、緑の大地が続いて、その間に川が光って見えた。
 その川のほとりの緑の森へ、光の道が消えていた。鬼の親子は、ぐんぐん風をきった。
「見える、見える。小さなお堂が見える。」
 とつぜん子鬼がさけんで、うでをぐっとのばし指をさした。
「どこだ、どこだ。」
 赤鬼がかっとにらむと、緑の森の中に草ぶきのとんがり屋根が見えた。その屋根が、ま昼だというのにぴかっと光って見えた。
「あみだにょらいさまの、おうちにちがいない。」
 青鬼がつぶやくと、さっと光がきえ、鬼たちのからだは、ゆっくり緑の森へととびはじめた。

◎第3の場面
 ぐっとおなかに力をいれると、鬼の親子は、お堂の前の庭につっ立っていた。森はしずまりかえって、太陽だけがさんさんとふっていた。
 気がつくと、すぐ後の森に白いキツネが立っていた。三角な耳をぴんと立て、水しょうのような美しい目をしてじっと見つめていた。鬼たちは、いちども見たことのない姿にぎくっとした。
「あなた、どなた。」
 青鬼の口がふるえていた。
「にょらいさまにおつかえしている、キツネのシロです。あやしいものではありません。あなたたちが、遠いダッタンの国からおいでになることを、にょらいさまからお聞きしていました。」
 キツネのシロは、べつにおどろいたようすもなくいった。
「やっぱり、このお堂が、にょらいさまのおうちだ。」
 赤鬼は、大きな目をくりっと動かし、にかっと笑った。
「にょらいさまは、あいにくるすでございます。」
 と、いった。
「どこかへ。」
青鬼が目をほそくすると、
「なにしろ、この村に悪霊がさまよいこんで人の心をまどわすということで、かけめぐっています。」
シロは、心配そうにいった。
「それは、こまったことじゃ。」
赤鬼がひたいにしわをよせると、
「どうか、お力をかしてください。」
そういったかとおもうと、キツネのシロの姿は、どこにも見えなかった。

◎第4の場面
 ダッタンの鬼の親子が、ダダ堂にきてくれたことをよろこんだのは、村の人たちだ。
「ありがたいことじゃ。」
「おれたちの心にすみついた悪霊を、はらいのけてくれるそうじゃ。」
「せっかくあせ水ながして作った作物までが、悪霊のしわざでめちゃくちゃじゃ。」
 村の年よりも、子どもも、ねがいをこめてダダ堂にあつまった。
 その日は白いボタン雪が、さんさんとふっていた。人々は、あみださまの心の光にふれるため、雪のつもった道を下り、こおるような水をからだにかけ、きよめた。
 
 雪にうもれたダダ堂の夜がはじまった。ところが、そのばんにかぎり、つめたい北風がふきふぶきにかわった。
ゴー、ゴー
ピュウー、ピュー
うなりをたて、森がゆれる。竹の葉につもった砂のような雪が、まいあがる。木と木がぶつかりあってきしむ音。
「悪霊め、やみにまぎれ村にしのびこむしるしじゃ。」
 村人は、まゆをさかだて空をにらんだ。
「こうなっては、にょらいさまの力にすがるいがいにない。」
長老は、じゅずをかた手に祈りはじめた。
いつのまにか、だいはんにゃきょうの祈りが、お堂の中から、庭からあたりにこだまする。
  ●お堂の板かべを、かたい木の棒でたたく音
    カタタン・カタタン
    悪霊め、村からでていけ
    カタタン・カタタン

 けたたましい音が、ひびきわたる。それにあわせて、太鼓の音とホラ貝のひびきがダダ堂の森にこだまする。
  ●檜葉(ヒバ)をいぶす悪霊をはらう煙が、お堂にたちこめ軒下をながれ、夜の空にただよう。
    カタタン・カタタン (棒打ち)
    ブウー・ブウー   (ホラ貝)
    ドドン・ドン・ドン (太 鼓)

 とつぜん燃えさかるたいまつをかかえ、お堂のまえへとびでた者がいた。頭に白い帽子をぶり、顔は悪霊もおそれにげだしてしまいそうな顔をしていた。村人は、みの毛がさかだつ思いがした。いままで誰も見たものはなかった。
「あれはきっと、ダダ堂にすむ白いキツネにちがいない。」
と、口々にいった。
 白い帽子は、燃えさかるたいまつを高々とさしあげ、
「あみだにょらいさまのおつかいじゃ。火の神のおゆるしをえて、人の心にすみつく悪霊を焼きはらってやる。は、は、は。」
と、いきまくって、たいまつで水の字をえがき、さっと姿をけした。
 火の神・水の神への祈りであったのだ。

  ●カタタン・カタタン 棒打ちの音とホラ貝、太鼓のひびきがつづく

 とつぜん、お堂の中が赤々とかがやきはじめる。燃えさかるたいまつをかかえ、おどりでたのは鬼の親子だ。
 村人たちは、そのいかめしい鬼の姿に、あっと思った。たいまつの赤々と燃える火が、かっと見はった鬼の顔をてらす。

 先頭は赤鬼(父鬼)・つづいて青鬼(母鬼)・茶鬼(子鬼)のじゅんである。
 父鬼は赤い顔をして斧をもち、角が二本。それに白いきばをむきだしていた。
 目はけもののようにするどく、口は大きくさけていた。それであって、村人たちにやさしい笑いをうかべた。
 
 母鬼は、顔もからだも青い。目がやさしく赤鬼のようにたくましさはない。白い角が一本。みじかいきばが二本。口をとじている。つつましい感じだ。手に持っているのは、にょらいさまにおつかえするときにつかう、よくみかけた棒だ。母鬼らしく、どこか温かい感じだ。

 子鬼はこがらな男の子で、茶鬼。角二本、きばは上下四本。木槌をもち、いかにも若武者という感じだ。

 その鬼の親子は、赤々と燃えるたいまつをふりかざし、一の戸口から、二の戸口へ。それから三の戸口へと、じゅもんをとなえながら、かけめぐる。

 たいまつが、火の精霊を思わせるよう、燃えあがる。花火のように火の粉が、やみを焼きつくして空へのぼる。悪霊にせまっていくのだ。
 やがて、燃えさかる三つのたいまつが、お堂の正面にならぶ。火の粉をかぶりながら、赤鬼・青鬼・茶鬼の目は、いようにかがやく。

◎第5の場面
  いつの間にか、風とふぶきはやみ、ダダ堂の夜は、雪をかぶったままもとの静けさにかえった。

 「村に、人の心に住みついた悪霊を、焼きはらうことができたぞ。」
 あみだにょらいのことばが、どこかで聞えた。

 それから雪が消え、春がおとずれ、小鳥の声が村に聞かれるようになった。

                               おわり


親赤鬼面 親青鬼面

大赤鬼面 古孫鬼面
鬼面の写真は綜芸舎発行、著者太田古朴氏の
「陀々堂の鬼走り」より引用




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