大津町 旧跡と伝承 

大津会館 吉野川南岸にあり、阪合部橋南詰から大津町となる。明応5年の坂合部殿証文の中、「坂合部郷際目之事に表野村之中山に付而大津村と表野村出入有之」とみえ、坂合部氏居城と大津町は関連深く重要な立地であったと思われる。文録2年(1593)の検地帳に百三十三石五斗八升八合内大豆四拾石五斗七升四合大津村とある。

 寛永郷帳に村高二〇二石〇八〇、元禄郷帳では村高二〇四石一四八となり旗本根来正縄(盛重系)、根来腸清(長真系)で村高を折半している。
 吉野川を利用し物資の流通をしていた頃、この大津町に荷をあげた坂合部氏領の頃、この地に市を開いたらしく、今も市場垣内の名が残っている。紀和を通ずる舟が泊まり、経済文化の拠点として発展し、坂合部氏領の頃、坂合部郷の氏仏として引接院(インジョウ イン)を建て祈祷寺として、念仏寺を建て天下泰平、五殻成就、郷内安全を祈願した念仏寺も「陀々堂の鬼走り」として5百有余年を経た現在も続いている重要地点であった事がうなづける。明治維新まで根来氏領となる。
念佛寺。陀々堂
@ 念 仏 寺 (陀々堂)(旧跡) 
    真言宗古義派(無住寺)
 ○ 沿 革
  創建不詳であるが平安後期、或いは鎌倉期に領主坂合部氏の氏寺として建立せられたとも云われ、不動明王を本尊としていた、護摩祈祷堂であったとみられる。室町期に至り、阿弥陀如来を安置せられるに及んで、瓦葺四柱造りに改建されたが、降って文明の頃、天下泰平、郷内安全、五殻豊穣を祈願して火祭り「現在の鬼走り」修行に当り、本堂再改修、現在の堂形茅葺となり、坂合部氏没落後は阪合部郷寺になって現在に及んでいる。
 当、念仏寺は平成2年2月2日「宗教法人」念仏寺として認証を受け、同年2月20日、法人登記完了する。
 ○ 本 尊
  阿弥陀如来立像、像高80センチメートル鎌倉期作
 ○ 脇 仏
  不動明王(旧本尊)藤原前期作、像高55センチメートル、
弘法大師座像、室町前期作、座高42センチメートル。
尚、境内に観音堂、薬師堂、弁財天堂、八幡宮、宝筐印塔、康申石塔、頼澄別当と律師の墓塔、弁天池、水天さん、井戸等あり。
 ○ 塔 頭(タッチュウ)引接院(インジョウイン)
   (念仏寺護寺と総配寺)
  本堂西北裏に建っていたが、明治の初め頃、廃寺となる。
 ○ こ も り 堂
   鬼走り行者の修練所として境内の北側に建っていたが、これも明治の初め頃倒壊のまゝとなっている。
 ○ 重 宝 物
   大般若経 六百巻
 十六善神曼茶羅図(裏面に坂合部郷十三ヶ村守り本尊と墨書あり)
   鬼面(文明古面) 大鬼三面、小鬼一面、
   昭和新鬼面 三、(仏師 大田古朴氏作) 阪部作市氏寄納による
  尚、古鬼面は、昭和55年、奈良県民族文化財に認定。
 ○ 法 会火手作法
   修正会 毎年1月12日より始まり14日結願大法会。結願大法会では大般若転読、大護摩供、鬼走り、火行等の修行が行われる。
鬼走り火行は、昭和55年「陀々堂の鬼はしり」として、「奈良県無形民族文化財」に指定せられる。
心 経 会 9月2日、般若心経三千巻の奉誦会。
八幡宮祭 9月15日、地区民並びに総代参列して祭典を行う。

A 妙 音 寺(旧跡)
妙音寺 大津町村寺。本尊、十一面観音。仏高、56センチメートル。
脇仏、不動明王、弘法大師。室町初期か江戸初期の開基とみられる。現在は、無住であるが、江戸末期まで住職がいて念仏寺修正会の導師をつとめたことがある。
 境内に永禄2年(1559)銘の五輪塔あり、尚、寺内に寛文(1661〜72)の奥書のある「金光最勝王経」十巻を存する。
なお、寺宇老朽化にともない平成4年12月檀家等の寄進により新築再建せられる。

平田寺
B 平 田 寺(旧跡)
 表野氏の菩提寺であって、元大津村小字平田にあったが、現在は同家北裏に移寺されている。
 本堂、三間に三間、四柱造り、桟瓦葺、妻入。
本尊、地蔵菩薩、新四国八十八ヶ所五十四番霊所。像高、43センチメートル。玉眼入の像。脇仏、阿弥陀如来、不動明王、弘法大師。
 元の平田寺跡に長禄4年(1460)の刻銘のある宝筐印塔の台石が残っていて、現在萩原家に保蔵されている。金石文
 六斉念仏の功徳を彫付けた「金石文」としては、長禄四年の刻銘は貴重であり、斯界で高く評価されている。






春日社
C 春 日 山(旧跡)
  大津町の南、県道の上に春日山があり、春日社が祀られている。
 安永2年巳ノ9月(1773)大津村「村鑑明細帳」の内、念仏寺に関する記事の一部を記す。

 「念仏寺と申者坂合部十二ケ村之氏仏ニ御座候。修正会と申者毎年二月十二日之夜より初而仏前荘厳之儀ハ餅百重そなへ、其の上に一ゝ御明シを上ゲ、当村妙音寺毎年寺役ニ而、於仏前ニ阿弥陀之秘法修行有之、十三日之夜も又十二日之夜ニ同、明ル十四日ニ者早朝より坂合部郷十二ケ村之僧中被打寄、大般若経転続有之。(中略) 三人七日前日より火を改、凡弐尺ニ壱尺三寸程之鬼之面をかぶり、凡長サ四尺ニ六尺廻りの松明を左之手にさげ、右之手に斧、槌、箒木を、三人共一品ツゝ之持、堂之内を三べん廻り申候、外にふキ面壱ツ、是ハ本尊之面のよし申伝、仏前ニ荘置候、装束者木綿ニ面父鬼子鬼ハ赤ク母鬼ハ青クイタシ、手足四拾ケ所横紙之こよりニ而括り申候、出立ニ御座候右之鬼堂之内を廻り候節者、後堂ニ丈間四方、松の厚ミ壱寸五歩之板ニ而張有之候、此所を氏子之者棒ニ而厳叩立テ大鼓螺を吹立、後堂に五尺四方程之囲炉裏有之、是ニ青檜葉を焼ふすべ申候、」等、尚護摩供修行、牛王加持、火手(カツテ)の作法、水枦離なども記されている。


大津町街並み

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